2011年9月23日金曜日

定義文

構文
「AとはBだ」のような文のことを定義文という。「AというのはBだ」と言ってもあまり意味が変わらないので、おそらく「というのは」が「とは」になったのだろう。さらに言うと、「AというのはBだ」は「BをAという」を分裂文にした形をしている。「定義文というのは『AとはBだ』のような文のことだ」みたいな。目的語の位置にしか生起しないと言われる「のこと」が、述語名詞Bの位置によく現れるというのも特徴の一つで、これも「BをAという」のような文との関連性を示唆しているのかも知れない。

メタ言語
「Aとは」のAは、メタ言語的であると言われる。メタ言語とは、語それ自体を表すような語のことで、「『富士山』は名詞だ」というときの『富士山』などがこれにあたる。「クアッガとはシマウマの一種だ」という場合の「クアッガ」も、クアッガという種それ自体ではなく、『クアッガ』という語を表しているのだと考えるわけである。私は以前、「A」は『A』という語を表すメタ言語であり、「Aというの」という句全体で『A』という語が表しているものという概念を表しているのだという分析をしたことがある。今にして思うと、この分析はちょっと怪しいところがあるのだが、しかし「A」の部分がメタ言語であるという点については、今でも妥当な仮説だと考えている。

使用法
「Aとは」は、『A』という語が何に言及しているのか分からない場合に用いられる形式であると言われている。例えば、「A」、「Aという人」、「Aとは」という表現を比べてみると、「昨日、太郎に会ったよ」は、話し手と聞き手がどちらも太郎を知っている(少なくとも、話し手はそう思っている)場合にのみ用いられる。聞き手が知らないはずの人物に言及する場合には、「昨日、太郎という人に会ったよ」という言い方をする。「太郎」という語の指示対象が分からない場合には、「太郎って(とは/というのは)誰のこと?」という言い方をする。「という人」と「とは」の違いについて注意しなければならない。「Aという人」は、『A』の指示対象がaであることは分かっているが、aについて十分な情報がないという場合に用いる。「Aとは」は、『A』の指示対象がaなのかbなのか分からないという場合に用いる。

意義と意味
「Aとは」は、Aの意義が分からない場合にも、意味(指示対象)が分からない場合にも用いられる。例えば、「大統領とは何ですか」というときには、話し手が聞いているのは『大統領』の意義である。一方、「大統領とは誰(のこと)ですか」というときには、話し手が聞いているのは『大統領』の指示対象である。

役割
「大統領とは太郎(のこと)だ」に似た表現に、「大統領は太郎だ」がある。この文は「大統領」が表す役割rについて、その値がa(=太郎)であることを述べる文であるとされる。この場合、『大統領』という語がrを表していること自体は分かっているので、「とは」は用いられない。ところで、『大統領』のような記述句は役割rを表す用法の他に、rの値であるaを直接表す場合もあることが知られている(Donnellanの属性的用法と指示的用法の区別に相当する)。「大統領とは太郎のことだ」では、『大統領』は値を表す用法で用いらているが、その値がaなのかbなのか分からないので「とは」が用いられる(より厳密にいうと、この場合の『大統領』は“値用法の『大統領』”を表すメタ言語である)。

道路標識
目の前にある道路標識が何を表しているのか分からないとき、「あの標識は何ですか」とは言うが「あの標識とは何ですか」とは言わない。この場合は、標識aが何を表しているかが分からないのであって、『あの標識』が標識aを表していることは分かっているので「とは」を用いないのである。これは、「大統領は誰ですか」において、rの値がaなのかbなのかは分かっていないが、『大統領』がrを表していることは分かっているので「とは」を用いないのと同じメカニズムである。

参考文献
田窪行則, 1989, 「名詞句のモダリティ」 仁田義男, 益岡隆志(編)『日本語のモダリティ』 くろしお出版.
藤村逸子, 1993, 「わからないコトバ、わからないモノ―「って」の用法をめぐって―」『言語文化論集』14, 名古屋大学言語文化部.
東郷雄二, 1994, 「メタ形式としての「~とは」とフランス語の属詞を問う疑問文」(関西フランス語学研究会発表)
今田水穂, 2006, 「役割・値文としての「とは」コピュラ文: メタ言語と記述句の理論の観点から」 杉本武(編)『日本語複合助詞の研究2』

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