2011年11月18日金曜日

LaTeX for HPSG

HPSG関係で使いそうな記号とかその他。

パッケージ

avm.sty
AVM(Attribute-Value Matrix)を書くためによく使われるマクロらしい。
木構造の中にAVMを埋め込みたいが、木構造マクロと組み合わせるとうまく動かない、という場合は\setboxとか\boxとか使うとうまく行くかも知れない。例えばtreeprintと組み合わせる場合。
¥setbox0=¥hbox{
  ¥begin{avm}[¥asort{word}HEAD&¥ajKaku1¥¥VAL&itr]¥end{avm}
}
¥tree{¥box0}
  ¥leaf{fish}
¥endtree

演算子・括弧など

\preceq
\succeq
\wedge
\vee
\Rightarrow
¬\neg
\top
\bot
〈〉\langle \rangle
{}\{ \}

角囲み数字

プリアンブルで\usepackage{otf}として、本文中で\ajKaku{1}のようにする(0〜100)。

二重角括弧

二重角括弧[[]]は、\usepackage{txfonts}(またはpxfonts)して\llbracket \rrbracketか、\usepackage{textcomp}して\textlbrackdbl \textrbrackdblで書ける。

二重山括弧

二重山括弧《》は、\usepackage{MnSymbol}して\llangle \rrangleで書ける。だがどうもtxfontsやpxfontsとの相性が悪いらしい。全角の 《》をそのまま使ってもいいが、$\left《 ... \right》$みたいな使い方はできない。

2011年11月1日火曜日

nokogiriのインストール on Lion

Lionでruby1.9とnokogiriを使うメモ。

1. ruby1.9をインストールする。

以前のエントリとかよそのサイトとか参照。

2. nokogiriをインストールする。

gem install nokogiri

rubyのインストールさえちゃんとできてればnokogiriのインストールはあっさり終わると思われる。

京都大学テキストコーパス on Lion

Lionで京都大学テキストコーパス4.0をセットアップするメモ。

1. 京都大学テキストコーパスをセットアップ

以前、別の場所で書いたWindows環境でのセットアップと大体同じ方法でいけた。MacなのでCygwinのインストールは不要。perlスクリプトの修正は必要。フォルダは$HOME/KyotoCorpus4.0とか適当に。

http://www.mizimada.net/notes/kyotocorpus/install.html

Last Update: 2011.08.11
インストールには、perl、京大コーパス、毎日新聞データが必要。
Windows環境&最新のperlだとインストール用スクリプトの一部が正しく動かない場合があるので修正が必要。
  1. Cygwinをインストールする
    ダウンロードサイトの選択(choose a download site)
    ftp://ring.aist.go.jp とか適当に
    パッケージの選択(choose packages)
    perlを追加する
    インストールが完了したら、Cygwin Bash Shellを一度起動しておく(初期設定のため)
  2. 京都大学テキストコーパスの準備
    kyotocorpus4.0.tar.gzを解凍して、kyotocorpus4.0フォルダを
    c:\cygwin\home\(username)\KyotoCorpus4.0
    あたりに置く
  3. 毎日新聞データの準備
    mai95.txtを
    c:\cygwin\home\(username)\KyotoCorpus4.0\mai95.txt
    あたりに置く。
    ファイル名がmai1995.txt(最近の版?)になっている場合はmai95.txtにリネームする。
  4. インストール用スクリプトの修正(重要)
    c:\cygwin\home\(username)\KyotoCorpus4.0\src
    にある
    format.pl 
    num2KNP.pl
    の二つのファイルをテキストエディタで開いて
    use open IO => ':encoding(euc-jp)';
    の次の行に
    use open ":std"; 
    と書き加える。
  5. インストールの実行
    Cygwin Bash Shellを起動し、以下のように入力。
    $ cd KyotoCorpus4.0
    $ ./auto_conv -d .


2. XMLファイルに変換

以前作ったXML変換スクリプトで行けた。ここからkc2xml.rbを取得してKyotoCorpus4.0フォルダに置き、ターミナルでKyotoCorpus4.0フォルダに移動して以下のように実行。要ruby1.9。

ruby kc2xml.rb -s ./dat/syn -t ./xml/syn -u
ruby kc2xml.rb -s ./dat/rel -t ./xml/rel -u

ただし、あらかじめ出力先フォルダ(KyotoCorpus4.0/xml/synとKyotoCorpus4.0/xml/rel)を作っておかないとうまく動かない。無ければ勝手に作るように書いたつもりだったのだが、いろいろいじってるうちにミスったっぽい。そのうち直そう。

2011年10月31日月曜日

TeXの環境設定 on Lion

主にここを参照。
http://oku.edu.mie-u.ac.jp/~okumura/texwiki/?Mac

1. MacTeX-2011をダウンロードしてきてインストール

2. Additional Tools for MacTeX/TeX Live 2011をダウンロードしてきて適用

3. TeXShopとLaTeXiTの環境設定(ここ参照)
LaTeXiTのプリアンプルをjsarticleにするの忘れてちょっと嵌った。
あとTeXShopのbibtexをpbibtexにするのも。

4. よく使うパッケージのインストール
gb4e ... 例文番号振ったりグロス書いたりする奴。
jecon ... 日本語経済学論文用の参考文献スタイル。言語学用に近い。

/usr/local/texlive/texmf-local/tex/latex/local
/usr/local/texlive/texmf-local/bibtex/bst/local
あたりにフォルダごとコピーして、ターミナルからsudo mktexlsrする。

jeconの今日現在のバージョンは2.7。このスタイルは、日本語著者名については「姓 名」のフォーマットでbibファイルに記述されていることを前提としているらしく、英語と同じように「姓, 名」のフォーマットで記述してあるとかえって「名姓」の順にひっくり返して出力してしまうらしい。なので、jecon.bstをちょっといじる。

[1498-1499行]
            { s nameptr "{ll}" format.name$ 'ss :=
              s nameptr "{ff}" format.name$ 'tt :=

[3252, 3254行]
              { s nameptr "{ll}" format.name$ 't :=
                  { s #1 "{ff}" format.name$ 't := }

他にもいじる必要がありそうだが、見つけたらまた直すということで。

2011年10月29日土曜日

MBA事始め

MBA導入したのでいろいろメモ。

1. キーバインド等

Winと比べると、CtrlではなくCommandキー使うという点以外は、主要なショートカットキーはMacでも同じらしい。全て選択とかコピーとかペーストとか保存とか。
IMEはスペースキーの左右にある英数キーとかなキーで単純に切り替え可能な模様。とりあえずことえりを使っているが、Google IMEというのも評判が良いそうなのでそのうち試してみたい。

2. トラックパッド

パッド下部がクリックエリアになっているようだが、タップでクリックするように設定した方がうるさくなくてよさそう。Winの右クリック(コンテキストメニューとか)は二本指タップ。画面のスクロールやブラウザの進む、戻るは二本指スワイプ。さらに三本指スワイプで、Mission ControlやExposéなどアプリケーション切り替え関係の機能が使える模様(便利そう)。
ドラッグは三本指でやる方法と、ダブルクリックでやる方法があるようだが、前者を取ると前述のアプリケーション切り替えが四本指になってしまってちょっとやりにくいので、後者にすることにした。前者はシステム環境設定のトラックパッドで、後者はユニバーサルアクセスで設定することができる(なんで分かれてるんだろ)。

3. ソフトウェアのインストール

ソフトウェアのインストールの仕方は多分二通りで、一つはAppStoreで購入するという方法、もう一つはパッケージ版のソフトを買ったりダウンロードしてきたりして自分でインストールする方法。OSに最初からAppStoreのアプリがついていて、そこから無数のソフトをインストールしたりアップデートしたりすることができるのは便利だと思う。
自分でインストールする場合は、Winとの違いにちょっと戸惑うかも知れない。Winだとほとんどのソフトはインストーラー付きのパッケージで配布されていて、むしろインストーラーなしのソフトをアプリケーションフォルダに放り込むことに抵抗を感じるくらいだが、Macではアプリケーションフォルダに放り込むだけのソフトが結構あるみたい。アンインストールも、Winだとコントロールパネルで全て管理するが、Macはごみ箱に放り込むだけ。ただし関連ファイルが削除されなかったりするらしいので、AppCleanerみたいな関連ソフトも自動で探してくれるソフトを入れておいた方がいいらしい。

4. iWork

iWorkはパッケージで買うか、AppStoreで購入することができる。私はMBA購入と同時にパッケージで買ってしまったが、これだとAppStoreの方が購入済みにならないのでちょっと気持ち悪い。パッケージではなくAppStoreで買った方がいいかも知れない。
ちょっと使った感じだと、KeyNoteは噂に聞く通りいい感じ。特にスライドからスライドへ移るときの効果(トランジション)がすごくいい。画像の背景を削除するアルファという機能もお目当ての一つだったのだが、実はこれは最近のPowerPointにもついているらしい(今更知った・・・)。アルファ機能については、むしろパワポの方が使いやすいか?KeyNoteはなかなか思う通りに切り取れん。
Office for Macは今回買わなかったが、そのうち買うかも知れない。

5. セキュリティソフト

とりあえずSophosとかいうのを入れておいた。

6. ブラウザ

Safariでもいいのだが、使い慣れているChromeで。拡張機能は、とりあえず地震速報だけ入れといた。

7. TeX

WinだとTeXインストーラー3というのがあって全部おまかせで行けるのだが、MacだとMacTeXというのがいいらしいのでそれを入れた。さらに日本語環境用の各種設定をしてくれるというAdditional Toolsなるものを入れる。問題はTeXShopやら何やらの諸設定で、WinにせよMacにせよ各ソフトがちゃんと動くようにするための設定がとても面倒くさいように思う。こちとらtexとかplatexとかpdftexとかdvipsとかdvipdfmxとかの違いもまともに理解していないので何を設定すればいいのか解説サイトとか見ても分からん。とりあえずTeXShopは普通に日本語入りUTF-8文書をちゃんと処理してくれるようになった。LaTeXiTはまだ言うことを聞いてくれない(日本語が表示されない)。TeXworksは気が向いたらそのうち。

8. Ruby

Rubyは1.8.7が最初から入っているようだが、1.9.2を入れておいた方がよかろうと思いインストールを試みる。いくつかLionにRuby1.9を入れる方法を解説してくれるサイトがあったので、それらを見ながらインストールする。面倒くさかった点の一つは、AppStoreからインストールできるXcodeの最新版(4.2)ではなく、4.1でなくてはうまく行かないということ。わざわざ4.2をアンインストールして4.1探してきて入れる羽目になった。手順はだいたい以下の通りだったと思うが、ごちゃごちゃいじったので違うところもあるかも。

i. Xcode 4.1をインストール
ii. homebrewとやらをインストール
iii. brewを使ってgitやらreadlineやらopensslやらをインストール
iv. rvmをインストール
v. ~/.bash_profileに次のようなことを書き込む。
[[ -s "$HOME/.rvm/scripts/rvm" ]] && . "$HOME/.rvm/scripts/rvm" # Load RVM function
export CC=/usr/bin/gcc-4.2
vi. ターミナルを再起動してrvmで1.9.2をインストールし、1.9.2に切り替える。

9. その他のソフトをインストール

RとかInkscapeとか。あとエディタが必要かと思ってmiというのを入れた。Inkscape動かすにはX11とやらが必要らしいのだが、X11が何なのかもあまり理解していない。

10. Appleマーク

日のあたる場所で画面を暗くして作業していると、筐体上面のAppleマークのところから光が入ってきて画面の中央に浮かび上がる。

2011年10月5日水曜日

概念意味論における指示論

Jackendoff(2002)の第12章(特に指示層の部分)のまとめ。

指示層(referential tier)
Jackendoff(2002)の意味/概念構造は、指示層、記述層、情報構造の三層構造になっており、指示層は従来の意味論における量化などに相当する。事物(object)や事象(event)は指示層に対応物を持つが、叙述名詞などは指示層に対応物を持たない。

S/P: [S [NP Eva]4 [VP became [NP a doctor]5]]6
DT: [Event inch([State be([Object eva]4, [Object doctor]5)])]6
RT: 4 6

同一指示や意義の同一は、指示層における指標の一致や、記述層における指標の一致によって記述される。

指示的依存(referentially dependent)
事象は、それを構成する事物に指示的に依存する。指示的依存は→で記述される。

S/P: [[a woman]1 bought [a car]2]3
DT: [buy(woman1, car2)]3
RT: 3 1, 2

言明では事象の存在が主張されるが、質問では事象の存在は主張されない。言明の効力は⇒で記述される。

RT: 3 1, 2

固有名や照応的代名詞は、言明か質問かに関わらず独自に存在の主張を持つ。

S/P: [Did John1 buy a car2]3
RT: 3  1, 2; ⇒ 1

S/P: [John1 bought a car2][Did you4 see it5]6
RT: ⇒  1, 2; ⇒ 1; 6  4, 5=2; 4

n.b.
3は言明なので存在。3は1, 2に指示的に依存するので1, 2も存在。6は質問なので存在の主張を持たないが、4は直示なので存在、5は2と同一指示なので存在。

指示的フレーム
wantは欲している状況がまだ起こっていないことを含意する。これは指示的依存のグラフの一部(従属節の部分)を枠に入れ、存在の主張の変更を表す演算子のラベルをつけることで記述される。

S/P: [Joan1 wants [to buy a car3]4]5
DT: [want(joan1, [buy(pro2, car3)]4)]5
RT: ⇒  1, want[4  2=1, 3]; ⇒ 1

質問や否定も、主張されていない部分を囲む箱への演算子としてコード化することができる。

S/P: [Joan1 didn't2 buy a car3]4
DT: [neg2[buy(joan1, car3)]4]5
RT: ⇒  neg[4  1, 3]; ⇒ 1

叙実的(factive)動詞の補文は、主節の状態に関わらず独自に存在の主張を持つ。

S/P: [Fred1 didn't realize that [Joan2 bought a car3]4]5
RT:  6  neg[5  1, 4  2, 3]; ⇒ 1, 2, 4

If P, then Qは、PもQも存在の主張を持たないが、PはQに指示的に依存する。

S/P: [If P1, then Q2]3
RT:  3  cond[1  2]

物語の中の固有名は、fictionの箱の内部で存在の主張を持つ(実在の人物であれば箱の外から矢印を引いてもよい)。

S/P: [Holmes1 wanted [to buy a cigar3]4]5
RT: fiction[⇒  1, want[4  2=1, 3]; ⇒ 1]

量化子は、述語を指示に関する特別の枠の中に置く効果を持つ。

S/P: [[Everyone in [this room]2]1 speaks [two languages]3]4
RT: ⇒ every[1 → 2, 4 → 5=1, 3]; ⇒2; (⇒3)

指標1は繰り上げられた量化子、指標5は束縛変数に対応する。指標3は、指標4からの指示的依存によって存在の主張を持つ場合も、独自に存在の主張を持つ場合もある。前者の場合は、全ての人がそれぞれ二つの言語を話すという意味になる、後者の場合は、ある二つの言語を、全ての人が話すという意味になる。

この方法では、量化子の相対的なスコープ(の少なくとも一部)は、指示層でコード化されるので、統語論あるいは記述層でコード化する必要がない。

情報構造と指示層

主題(topic)は、評言(comment)の中の何かによって認可されるということはない。評言の中の量化子とは独立に存在の主張を持つ。

a. Every girl danced with one of the boys.
b. One of the boys was danced with by every girl.
c. One of the boys, every girl danced with.

aの優先される読みは、oneが狭いスコープを取る読みである。bはoneが広いスコープを取る読みが好まれるが、絶対ではない。cはoneが明示的に主題の位置に置かれており、oneは義務的に広いスコープの解釈を持つ。

n.b.
aとbでは、oneは指示的依存により存在の主張を持つかもしれないし、独自に存在の主張を持つかも知れないが、主語は主題として解釈されるのが優先されるので、bはoneが主題=独自に存在の主張を持つ=広いスコープの読みが優勢になる。cはoneが明示的に主題になっているので、義務的に広いスコープの読みになる。

everyは束縛変数を要求し、束縛変数は指示層で独立に存在の主張を持つことはできない。従って、everyは主題を表す前置された位置では非文法的である。

a. *Every girl, one of the boys danced with.
b. *As for every girl, one of the boys danced with her.

従って、量化子繰上げやラムダ抽象を用いなくても、情報構造層の意味だけである種のスコープの効果は得ることができる。

n.b.
統語論や記述層で量化子の相対的なスコープをコード化しなくても、指示層である種のスコープ効果を記述することが可能。そして、ある要素が主題であるということは、その要素が指示層で独自に存在の主張を持つことを意味する。

n.b.
日本語の場合は?「展示されている全ての作品は、太郎が制作した」など、主題の位置にeveryが出てもよさそう。

参考文献
Ray Jackendoff, 2002, Foundations of Language. OUP. (郡司隆男[訳], 2006, 『言語の基盤』岩波書店)

2011年9月24日土曜日

役割と値

役割(role)
FauconnierのMental Spacesで用いられる概念で、語の内包的解釈の一種。「彼のアパートはどんどん大きくなる」という文は、次々により大きなアパートに移り住むという読みと、特定のアパートがどんどん巨大化する(増築などで)という読みを持つ。後者の読みでは「彼のアパート」は特定の建物を表しているが、前者の読みでは特定のアパートを表しているわけではない。Fauconnierは、前者の読みでは「彼のアパート」は役割rを表しており、そのrが「どんどん大きくなる(より大きな建物に替わる)」という属性を持つのだと分析する。一方、後者の読みでは「彼のアパート」は役割rの値である特定の建物aを表しており、そのaが「大きくなる(巨大化する)」という属性を持つのだと分析される。

役割関数
Fauconnierは、役割とは関数であると説明する。役割rのスペースmにおける値がaであることは、r(m)=aのように記述される。しかし私見では、役割を関数として記述する方法はあまりよくないのではないかと思う。このような記法は、モンタギューの内包論理のような内包概念を外延的に記述する意味論で用いられる。しかしメンタル・スペース理論では、同一のスペースmの中に役割rと値aが別々の意味論的オブジェクトとして併存するものと見なされており、その意味において役割rは“内包主義的な”内包概念である。r(m)=aのような記述は、スペースmにおけるrとaは同一のオブジェクトであるという誤解を生じかねない書き方であり、避けるべきである。

属性的用法と指示的用法
Donnellanは、「スミスを殺した犯人は正気じゃない」という文には二通りの読みがあると指摘した。一つは、誰であれスミスを殺すような奴は正気じゃないという読みであり、「スミスを殺した犯人」という記述が表す属性が文の意味解釈において本質的な役割を果たしている(仮にスミスが殺されたのでないとすれば、この文は意味をなさなくなる)ので属性的用法と呼ばれる。もう一つはスミスを殺した犯人であるとされるジョーンズは正気じゃないという読みで、「スミスを殺した犯人」という記述はジョーンズを同定するために用いられているに過ぎない(仮にジョーンズが犯人でなかったとしても、ジョーンズが正気じゃないということ自体は成立する)ので指示的用法と呼ばれる。Fauconnierは、属性的用法とは「スミスを殺した犯人」が役割rを表している場合であり、指示的用法とは値aを表している場合であると分析する。

抽象的個体
Fauconnierの役割は、Carlsonの種(kind)と似たところが多い。「オオカミは北に行くほど大きくなる」という文のごく自然な読みは、北にすむオオカミほど体が大きいというものである。Carlsonは「オオカミ」は種kを表しており、kが「北に行くほど大きくなる」という属性を持つのだと分析する。Carlsonは種を抽象的個体と見なしている。通常の個体が空間的に束縛される存在物であるのに対して、抽象的個体は空間的に束縛されない存在物であると言う。種と役割の違いを明確に述べることは難しいが、役割が通常は特定少数の要素を値として持つものと期待されるのに対して、種は通常は外延を明確に特定できないというあたりに違いがあるのではないかと思われる。

時間断片
Carlsonは、ある場面における種やある場面における個体というような、時間断片(stage)というタイプの存在物を仮定する。「犬/ジェイクは賢い」が種dや個体jが「賢い」という属性を持つことを述べる文であるのに対して、「犬/ジェイクが病気だ」は種dや個体jのある時点における時間断片が「病気だ」という属性を持つことを述べる文であるとする。もう少し詳しく言うと、「犬」や「ジェイク」は種dや個体jを表すのだが、「病気だ」という述語が「~の時間断片が病気だ」という意味を持つものとして解釈される。このとき「賢い」のような述語を個体レベル述語(individual level predicate)、「病気だ」のような述語を場面レベル述語(stage level predicate)と呼ぶ。種や個体が時間的に束縛されない存在物であるのに対して、時間断片は時間的に束縛された存在物であると言う。

値と時間断片の違い
種/個体vs.時間断片の関係が、役割vs.値の関係とは別物であるということに注意する必要がある。上で述べたように、「スミスを殺した犯人は正気じゃない」という文で、「スミスを殺した犯人」は役割rを表す場合も値aを表す場合もあるが、どちらの場合も「正気じゃない」は個体レベル述語である。一方、「スミスを殺した犯人がドアを壊した」という文は誰であれスミスを殺した犯人がドアを壊したはずだという読みと、ジョーンズがドアを壊したという読みを持つが、どちらの場合も「ドアを壊した」は場面レベル述語である。すなわち、役割と、その値である個体は互いに独立した存在物であり、それぞれが別々に時間断片を持つのである。これは同一スペース中に役割と値を併存させるFauconnierの考え方とも一致する。まとめると、役割vs.値とは別々の二つのオブジェクトの間の関係であり、個体/種/役割vs.時間断片とは単一のオブジェクトの全体と部分の関係である。

参考文献
Donnellan, K. 1966, "Reference and Definite Descriptions". The Philosophical Review, 75(3).
Carlson, G. 1977, "A unified analysis of the English bare plural". Linguistics and Philosophy, 1(3).
Fauconnier, G. 1985, Mental Spaces. MIT Press.

2011年9月23日金曜日

定義文

構文
「AとはBだ」のような文のことを定義文という。「AというのはBだ」と言ってもあまり意味が変わらないので、おそらく「というのは」が「とは」になったのだろう。さらに言うと、「AというのはBだ」は「BをAという」を分裂文にした形をしている。「定義文というのは『AとはBだ』のような文のことだ」みたいな。目的語の位置にしか生起しないと言われる「のこと」が、述語名詞Bの位置によく現れるというのも特徴の一つで、これも「BをAという」のような文との関連性を示唆しているのかも知れない。

メタ言語
「Aとは」のAは、メタ言語的であると言われる。メタ言語とは、語それ自体を表すような語のことで、「『富士山』は名詞だ」というときの『富士山』などがこれにあたる。「クアッガとはシマウマの一種だ」という場合の「クアッガ」も、クアッガという種それ自体ではなく、『クアッガ』という語を表しているのだと考えるわけである。私は以前、「A」は『A』という語を表すメタ言語であり、「Aというの」という句全体で『A』という語が表しているものという概念を表しているのだという分析をしたことがある。今にして思うと、この分析はちょっと怪しいところがあるのだが、しかし「A」の部分がメタ言語であるという点については、今でも妥当な仮説だと考えている。

使用法
「Aとは」は、『A』という語が何に言及しているのか分からない場合に用いられる形式であると言われている。例えば、「A」、「Aという人」、「Aとは」という表現を比べてみると、「昨日、太郎に会ったよ」は、話し手と聞き手がどちらも太郎を知っている(少なくとも、話し手はそう思っている)場合にのみ用いられる。聞き手が知らないはずの人物に言及する場合には、「昨日、太郎という人に会ったよ」という言い方をする。「太郎」という語の指示対象が分からない場合には、「太郎って(とは/というのは)誰のこと?」という言い方をする。「という人」と「とは」の違いについて注意しなければならない。「Aという人」は、『A』の指示対象がaであることは分かっているが、aについて十分な情報がないという場合に用いる。「Aとは」は、『A』の指示対象がaなのかbなのか分からないという場合に用いる。

意義と意味
「Aとは」は、Aの意義が分からない場合にも、意味(指示対象)が分からない場合にも用いられる。例えば、「大統領とは何ですか」というときには、話し手が聞いているのは『大統領』の意義である。一方、「大統領とは誰(のこと)ですか」というときには、話し手が聞いているのは『大統領』の指示対象である。

役割
「大統領とは太郎(のこと)だ」に似た表現に、「大統領は太郎だ」がある。この文は「大統領」が表す役割rについて、その値がa(=太郎)であることを述べる文であるとされる。この場合、『大統領』という語がrを表していること自体は分かっているので、「とは」は用いられない。ところで、『大統領』のような記述句は役割rを表す用法の他に、rの値であるaを直接表す場合もあることが知られている(Donnellanの属性的用法と指示的用法の区別に相当する)。「大統領とは太郎のことだ」では、『大統領』は値を表す用法で用いらているが、その値がaなのかbなのか分からないので「とは」が用いられる(より厳密にいうと、この場合の『大統領』は“値用法の『大統領』”を表すメタ言語である)。

道路標識
目の前にある道路標識が何を表しているのか分からないとき、「あの標識は何ですか」とは言うが「あの標識とは何ですか」とは言わない。この場合は、標識aが何を表しているかが分からないのであって、『あの標識』が標識aを表していることは分かっているので「とは」を用いないのである。これは、「大統領は誰ですか」において、rの値がaなのかbなのかは分かっていないが、『大統領』がrを表していることは分かっているので「とは」を用いないのと同じメカニズムである。

参考文献
田窪行則, 1989, 「名詞句のモダリティ」 仁田義男, 益岡隆志(編)『日本語のモダリティ』 くろしお出版.
藤村逸子, 1993, 「わからないコトバ、わからないモノ―「って」の用法をめぐって―」『言語文化論集』14, 名古屋大学言語文化部.
東郷雄二, 1994, 「メタ形式としての「~とは」とフランス語の属詞を問う疑問文」(関西フランス語学研究会発表)
今田水穂, 2006, 「役割・値文としての「とは」コピュラ文: メタ言語と記述句の理論の観点から」 杉本武(編)『日本語複合助詞の研究2』